(16)杉並スーパーシニア

                 チーム紹介:杉並スーパーシニア

   

「杉並区立小学校PTA野球連合協議会スーパーシニアー部」と云う長ったらしいのが我が杉並SSの正式名称です。

 

PTA活動の一環として杉並区内各小学校に児童の父親と教員による軟式野球部が生まれ、春秋2回のトーナメント大会が

催されるようになってから、30周年を記念して、スーパーシニアー部(60才以上全てのOB)が設立されたのが、平成7年5月のことです。

 

            

 

東京都還暦軟式野球連盟には平成8年度春季リーグ戦より当時の3部に新規参入してから、今年で創部24年を迎えました。

 

東還連に加盟から平成最後の春季リーグまでの通算成績は141勝116敗27分で、その間1部優勝1回、2部優勝4回の

成績を残しています。

 

全日本選手権大会出場は6回、選抜大会には12回出場していますが、平成22年9月新潟で開催の選手権大会でのベスト8が

これまでの最高の戦績です。

 

令和元年秋季Kリーグのランキングは1部第3位で活動させていただいております。

 

平成20年12月に登録したBチームは現在ランキング5部に所属して活動、更に平成26年5月には古希チームを立ち上げて、

古希リーグに参加し、活動をはじめました。総勢76名の選手登録となっております。

 

人生100年時代と言われる昨今ですが、還暦→古希→傘寿といつまでも元気でグラウンドで汗を流し健康維持・増進を図る

ことを最大の活動目標に掲げ、東還連憲章を十分に理解し、生涯野球を楽しめるチーム運営を心掛けているところです。

 

夢は全国制覇を達成して、杉並区役所前の中杉通りでの優勝パレードです。

 

(17中央シーガルス

                         17 中央シーガルス CHUO SEAGULLS BASEBALL CLUB

 

・ チーム発足: 平成7年10月10日

・ 東還連加盟: 平成8年春季リーグ

・ 部 員 数: 27名(令和元年秋現在) 平均年齢:72.14歳

・ 本 拠 地: 中央区日本橋人形町

・ チーム名 : 本拠地が隅田川そばに位置し、古来より大川(隅田川)には都鳥

        (ゆりかもめ)が生息していました。この都鳥の英名(Seagull)をチーム名としました。東京都の鳥もこの都鳥です

 

Please give me some food     

 

チームのテーマは生涯野球をする事で仲間との絆を深くし、若々しく生きる事です。

試合や練習の終った後は必ず人形町に戻り、反省会という口実で一杯やる事を楽しみにしております。話題は野球か小指の話で、病気や年金の話は出ません。

又、毎年8月には塩原温泉で一泊夏合宿を行っております。今年で9回目の合宿は、ほぼ全員が参加し、もちろん野球漬けの2日間ですが夜の宴会と温泉も楽しみの一つです。

  

       

 

       

  

 

  

  

12月には納会を開催し年間優秀選手表彰を行います。年間14試合の全てに参加した選手には「皆勤賞」を贈呈し部の精神を確認します。

 

  

 

(19)三鷹スリーホークス

                                                     令和元年8月9日

 

我がチーム紹介(三鷹スリーホークス)

 

                                      三鷹スリーホークス  理事

                                                     目黒 芳弘

   

我がスリーホークスは、1996年1月(平成8年)にチームを結成し今年で24年を迎えている。東還連でも今では14番目に名を連ねる古株のチームとなってきました。

 2019年1月末現在で登録メンバーも59名で東環連の中では一番登録メンバーの多いチームとなっております。

 又、メンバー内容では59名中37名が古希年齢以上で平均年齢も73歳と云う後期高齢者に近いチームとなって来ているのも事実です。中でもチームの自慢は今年89歳の「木村 勝美」さんで、今でもP リーグ・古希リーグでは代走のスペシャリストで、現役プレーヤーとして活躍しており、又現役審判(主審)としても年間数多くの試合をこなし頑張っています。

 ただただ敬服するばかりです。

 

 成績の方もここ5~6年は1部と2部を行ったり来たり(平成28年3部)で1部定着と云うよりも2部の生活が長い成績となっておりますが、しかし最近では1部で戦っていても以前よりは勝負の点差も含め1部で戦えるチームになってきていることは選手も膚で感じているのではないでしょうか?  そう感じているムードがチーム一丸となって自信に繋がっていけば令和元年秋季リーグでも面白い戦いが展開出来るように思います。

又、野球は個人技の集合体でもあり試合でミスを多くしたチームが負けるパーセントが高い事も事実で如何にそのミスを相手より少なく戦っていけるかチームの課題だと思います。

 

 これからの戦いで「台風の目」になって頑張っていきたいと思います。

 

(21)府中エルムス

                                                                                               府中エルムス球団紹介

 

チーム創設は1996年、故藤井竹一氏が「チーム一丸」(Kリーグ、Pリーグの区別なく全員で試合に参加する)を旨とし、市在住者を中心に新チームを立ち上げました。

チーム名は、府中市の市木“けやき”にちなむ「elm:ニレの木」から「府中エルムス」としました。その願いはチームが【けやきの如く、大地にしっかり根を張り、天空に逞しくそびえる】姿を祈願して命名したものです。

爾来23年幾多の浮沈を繰り返しながら、着実に実力を蓄え、2016年春季から3季連続1部優勝。2019年(令和元年)春季は同クラス全勝優勝を成し遂げるまでに成長(?)しました。

 

その歴史を3期に分けて振り返ってみると

1期(’96~‘02) ―勃興そして低迷―

 加盟直後、4部(最下位クラス)からスタート、強力な打戦で順調に成績を挙げ、‘99には

 1部に昇格するも、上位の壁厚く翌季以降5部までランクを下げた。

2期(‘03~’10) ―再興そして上位定着―

 硬式野球経験者数名の入部に合わせ、ベテラン組の活躍も相まって2年間で1部~5部に

 急上昇した。この時期から関東大会や三鷹大会にチャレンジし始めた。

3期(‘11~’19) —真の1部定着—

 更に優秀な投手や野手が入団し、熱心な練習の重ねでバランス良いチーム作りが出来た。

 この間、1部優勝7回、松尾投手は完全試合1、準完全試合3を記録で来た。

 

今後の活動 

[東還連]での好成績と共に昨年の加藤時太郎大会や三鷹大会ではそれぞれ3位と過去最高の成績を残すことが出来ようやく「府中エルムス」も関東レベルの仲間入りが出来たかなと思っています。 一方、全国大会では、第30回選手権大会(姫路)に初参加し、1回戦は1210で勝利したものの、翌2回戦は前年優勝の秋田還球クラブを相手に2名の救急搬送者を出しながらも3:5で敗戦。今も忘れられない悔しいデビュー戦でした。その後、選手権大会か選抜大会には毎年参加し、最近は23回戦まで勝ち残ることができるようになり選手一同多いに自信を持ち始めました。

創設者故藤井竹一さんの理念を継承しつつ、いつか全国大会制覇を、チーム命名に相応しいチームに向けて49名一同が各々のポジションで精進して行きます。 

(22)練馬すずしろ野球クラブ

                            (チーム自己紹介)

                        NO.22 練馬すずしろ野球クラブ

  

歴史を省みれば、昭和51年(1976年)頃に大泉の商店街の野球好き数人がグループを立ち上げ、もう一つのグループと合併し早朝野球の人達も加わって昭和61年(1986年)に現在の練馬すずしろが設立されました。今年で33年目となります。

  

              

  

当初は試合相手を探したり、ゲームを組むのに苦労したようですが、平成8年(1996年)春に発足2年目を迎えた東京都還暦軟式野球連盟に登録が認められ、最初の試合に参加したのはその年の秋で登録人数は21名でした。東還連4部構成22チームの中に入り、初めてのシーズンは0勝6敗で最下位でした。その後若いメンバーも増え4年目の平成11年(1999年)秋に2部に昇格し、その年4位になったのが今までの最高位となっています。

 

平成14年春よりパイオニア(P)リーグに参戦し、Kリーグとの両輪で現在に至っています。

現在会員数は病気その他の理由で休会(7名)となっている人を含めて56名の大所帯となっています。

悩みは高齢化です。80歳以上が15名、75歳以上80歳未満が15名と全体の半数を占め、平均年齢が75歳となっています。

60歳台前半の人達が入会してくれることを望んでいますが、思うようにはなりません。

 

東還連の公式戦は大泉から一番近いところで三鷹大沢グランド、遠いところは葛飾柴又、大井グランドです。交通の便が悪いため、毎試合会員のマイカーに分乗して現地に行きますが運転者も高齢化しています。最近高齢者の事故が多いため、7月に開催された総会で運転者の年齢を80歳未満とすることで承認を得ました。現在運転している人は75歳前後で今後の課題の一つです。

1月から12月(正月と盆休みを除く)を通して週2回(月、木)北大泉野球場のA面とB面で練習を行っていますが、毎回35名前後が参加しています。KリーグとPリーグの公式戦以外に約20試合練習試合を行っています。

 

もう一つの悩みは近隣住民への配慮から両面共使用バットは木製のみと制限されていることです。

今後もクラブの目的である“心身の健康の維持・増進を図るとともに明るく、楽しく、友愛と親睦を深める”よう努力していきたい。

 

                                            会長 齋藤佳之

 

(23)朋友倶楽部

      朋友倶楽部「全員参加の下、明るく、楽しく、元気よく」

 

                                                      監督  髙松 輝幸 

 

 平成9年「さざんかチーム」から別れ、東初代監督が文京朋友倶楽部を創設。

平成9年4部からスタートし、平成11年1部に昇格。以降ほぼ1部を堅持。

創設当初の選手は「東大関係者、東電関係者、及び野村証券関係者」により形成されていました。

各選手の居住先は「埼玉県川越市、千葉県及び神奈川県相模原市」から多くの選手が集まりました。

当時の黒木捕手が「川越の選手は芋軍団、千葉県の選手はピーナッツ軍団、そして相模原市の選手は猿軍団」と

命名し和気藹々のチーム造りに大いに貢献した。

 

            

 

 其処から多くの先輩諸氏及び現在のチームメイトに支えられ、今年で22年目を迎える事が出来ました。

私も58歳の時、天文台Gに於いて、篠田投手・伊東捕手に依る入部テストを受け無事入部の運びに至り20年を迎える事が出来ました。

チームの目標は「還暦・古希共に全国優勝を目指す」です。「練習は嘘を付かない、栄冠は必ず朋友に輝く」の原副代表の

言葉通り昨年古希が全日本古希大会に於いて初優勝を達成する事が出来ました。古希チームは連覇を目指して頑張っています。

昨年の優勝時には、多くの方々からお祝いの電話及びメール戴き有り難う御座いました。

今後共応援を宜しくお願い致します。

 

 東還連の各チーの皆様方と同様、グランドの確保及び新入部員の確保が大きな課題です。

全員でチームの課題を理解し、過去の栄光を永く続けて行きたいと思っております。

 

(26)京葉シルバーズ

           チーム紹介:26. 京葉シルバーズ

  

創設    平成9年(1997)8月 

        江戸川区篠崎町1-27-1 

        代表理事 小林功 

        監督 上原素臣 

        メンバー 28名

 

過去の実績 全国還暦軟式野球選手権大会 

           優勝1回 準優勝2回 3位1回 

        東還連リーグ戦 

           1部優勝8回

  

平成9年8月 地元でバッティングセンターを経営していた、故松丸監督がシニア野球のメンバーを集め

京葉シルバーズのチーム名でスタートしたのが始まりです。

当初は試合に敗ける事が多く、なかなか成績の方が上がらず大変でしたが、スタートしてから2年日頃

から野球経験の有る選手が増えてきて、平成11年に東還連3部で初優勝してからチームに力がつき、

その年の茨城県水戸市の全国大会に初出場して決勝戦までいき残念ながら敗れて準優勝でした。

  

 それ以来13年間連続して全国大会に東京代表として出場する事ができ、平成19年福井県敦賀市での

全国大会で優勝する事ができました。チーム創設以来10年目での優勝でした。

 

        

  

 チーム結成以来永い間監督として指導していただいた松丸監督が平成22年6月に他界され、

京葉シルバーズは監督の野球を継承しつつ努力をかさね、今年で結成22年を迎える事ができました。

今後も東還連憲章を守り常に応分の努力と研鑽を忘れずに東還連のチームの一員として頑張って行きたいと

選手全員思っています。

 

(27)小平静和クラブ

小平静和クラブのご紹介          令和元年8月 

 小平静和クラブは、平成9年に都民銀行(静和の名前の由来)の有志により創部され、

平成10年には東京都還暦野球連盟に加盟し、多摩地区を中心とした「野球好きの還暦仲間」

が集う野球チームとして活動してきた。

 

 当初5年間は4部・5部と低迷していたが、その後の5年間は1部・2部で活躍し平成

17年と18年には「全国大会にも出場」を果たす最盛期を迎えた。

                

  その後は平成20年から26年にかけて長い低迷期に入り、4部から6部を経験する

雌伏のときを過ごした。この時代に「チームワーク」・「個を認める和のチーム」の大切さを学び、

チーム再生への準備期間として価値ある時を過ごした。

 そして平成27年から3部、2部、1部へとランクアップし、現在の1部と2部を往復

する新しい小平静和クラブへと変貌し見事再生した。再び「全国大会出場」を合い言葉に

1部定着を目指せるチームになった。

 平成30年の西部リーグ分離の際は、従来一緒にプレーしていた「西部リーグの仲間」と

袂を分かったのは、偏に『全国大会出場』の夢を追うためであった。

 

 小平静和クラブは、創部以来「還暦()リーグ」「Pリーグ」「古希リーグ」の全てに参加し、

シーズンオフの「中部リーグ」を含めて、部員それぞれの年齢、スキルに応じた試合を経験できる

環境を用意してきた。メンバー全員が毎週どこかの試合に出られるチームである。

 

 「還暦()リーグ」では、『再び全国大会に出場』を目標に掲げ、より上位をめざして日々

研鑽し、チーム力アップに努めている。

 「Pリーグ」では、全員出場・全員打席で『楽しみながら底上げ』をテーマに半歩でも

上達しようと真摯に野球に取り組み、Kへの出場チャンスをうかがっている。

 「古希リーグ」は、『いくつになっても野球小僧』の精神で、70歳超になっても「あの

人の様になりたい」と後輩達に慕われる存在を目指して日々頑張っている。

          

 

小平静和クラブが目指すは「品格ある和の野球集団」で、各リーグを共通するチーム精神

として下記を掲げ、日々のミーテイングで全員が唱和徹底している。

  1. 勝ち負けに拘らず笑顔を絶やさない。

  2. 審判の判定にクレームはつけない。

  3. 怪我をするような無理なプレーはしない。 

 小平静和クラブは、名前の通リ小平・多摩地区のチームとして発足したが、今や埼玉、

神奈川、新宿、世田谷とメンバーの幅を広げ、野球経験も高校・大学・社会人で活躍した

一部の人間を除いて、大部分は「野球が好き」「野球を楽しみたい」「体を動かしたい」人が

参加している、文字通り「オープンさが売りの還暦野球集団」である。

 オープンさの象徴として、HPも持っているのでご参照いただければ幸いです。

          kodairaseiwa.amsstudio.jp/

 

ここからは『全国大会常連チーム』を目指す小平静和クラブのチーム目標・方針を述べる。

  1. [目標]  全国大会で通用するレベル』のチーム作り

  2. [方針]  『守り・走り重視の野球』で「勝ち切る」チーム作り

    方針を具体化するキーワード
    ① 強力打線   ② 守り重視           ③ 走る野球 ④ 最少失策
    ⑤  集中力       ⑥ [1]へのこだわり  ⑦ フォア ザ チーム   

 令和元年のチーム幹部は下記の通りです。

    K監督:鐘江健一郎 主将:古市滋久

    P監督:稲垣博正  主将:柴田郁夫

    古希監督:本多照彦 主将:谷内孝夫

今後とも小平静和クラブは、東京都還暦野球連盟の一員として、「品格ある和の野球集団」を追求します。

オープンさが売りの還暦野球集団」を前面にだして、チーム力の飽くなき向上を図り『全国大会出場レベル』を

目標に掲げ、切磋琢磨していきます。

                                               以上

(28)足立クラブ

            還暦野球部 足立クラブを紹介します。

 

 創設は199610月です。今年の10月で創部23年になります。

足立区は生涯スポーツ、運動を奨励しており、下町の小さな区ですが、スポーツ施設はかなり充実しており、

いろんなスポーツが盛んにおこなわれています。

当時、青少年の野球チームは多数あり、いろんな大会が足立区で行われていました。

唯一、なかったのが還暦野球チームです。

 

       

 

そこで、現チームの会長である足立史郎氏が数十名の部員を募り、足立区に陳情し足立区に還暦野球チームを作り、

且つ足立区の支援を受けられるよう、運動を開始しました。

当初は、なかなか区の理解が得られず了承してもらえませんでした。そこで現職の地区選出の国会議員、都議会、区議会の

議員さんや各政党支部、足立区の他のスポーツ団体、市民団体にも支援を呼びかけ、1年後にようやく区の支援を

受けられる形で、チームが発足しました。

現在は、毎年10月にチームの活動報告、翌年の施設使用予定等を添えて球場の使用申請を行っております。

また区長杯には、足立区スポーツ振興課の課長さんを招待し、始球式をお願いしたり、

区長の挨拶文を区長杯冊子に掲載するなど、区との親睦を図っております。

また、足立区軟式野球連盟とも親睦を図り、区長杯には審判団の派遣をお願いしております。

そのおかげで、年間を通して、野球場が確保でき、東還連、足立区長杯、その他近隣のチームとの

試合が、ほぼ毎週土曜日にできるようになりました。また、足立区長杯を通じて親しくなった、

栃木還暦野球クラブが開催する大会に遠征をしております。

 

 現在の部員構成は、80歳超が3名、70歳台が13名、60歳台が9名です。

在籍22年、80歳平久さんが当チームの貴重な左腕投手としていまも第一線で頑張っております。

このチームには、硬式野球の経験者は一人もいません。子供の頃から、草野球が大好きという人たちの集まりで、

どちらかというと試合に勝つより、野球を楽しむ感じのチームです。

 

 地域の団地の夏祭りに焼き鳥の店を出店したり、自治会の新年会などに出席したり、地域活動に密着して地元に貢献できる

活動をして、足立区との親睦を図って、足立クラブという還暦野球クラブが、東還連で末永く活動できるよう頑張っていきたいと思います。

 

                                                 足立クラブ事務局 記